本作は書下ろし作品だ。昨年(二〇一九年)に、『群青の闇 薄明の絵師』『幽玄の絵師 百鬼遊行絵巻』『狂花一輪 京に消えた絵師』と、立て続けに力作を発表した俊英の新作を収録できるとは、アンソロジー冥利に尽きる。なお作者はデビュー作『京の縁結び 縁見屋の娘』から、京の都を舞台にした時代小説を書き続けている。もちろん本作も同様だ。
暴風に見舞われた京の町。庭師「室藤」は、薬種問屋「丁字屋」の庭普請を依頼される。急ぎの仕事らしく、「室藤」の娘のお紗代も駆り出された。職人たちに交じり、一所懸命に働くお紗代。だが、人ならざる存在の声を聞く彼女は、垣根の向こうにある寮の離れ屋が気になってならない。子供の幽霊がでるという離れ屋の庭に入ったお紗代は、そこで「丁字屋」の若旦那らしき人物と出会う。東西を通じて無数にある幽霊譚の中に、ジェントル・ゴースト・ストリーと呼ばれる作品がある。簡単にいえば心優しい幽霊が登場する物語だ。本作は、その新たな収穫といってもいい。幽霊の優しさが誰に向けられたものか分かったとき、温かな感動がこみ上げるのだ。
また、タイトルになっている韓藍の庭を始め、物語の色彩が豊かだ。その彩を愛でるのも、本作の楽しみである。
細谷正充
幽霊がいるとか、いないとか。見えるとか、見えない、とか……。
私は「いる」と思います。「見る」力はありませんが、「感じる」ことはできますので。
交通事故死の現場を知らずに通りかかり、頭痛を起こしたり、体調不良になったこともあります。そんな時は、医者にかかっても、病気ではないと言われます。寒さとは関係なく、歯の根も合わないほどの震えに襲われたことも。かと思えば、腕や背中に何かが触れたように、いきなり鳥肌が立ったことも……。
彼等は何かを訴えようとしているかも知れません。でも、私には「見る」ことも「声を聞く」こともできないので、お役には立てません。
「韓藍」は「鶏頭」のこと。これは、鶏頭が一面に咲き乱れる庭で、「見えてしまった」心優しい娘のお話です。