三月十五日 月曜日

MENU

ブログ&お知らせ

三月十五日 月曜日

2021.03.15昌子の気まぐれ日記

私が書く小説の舞台は必ず京都になる。江戸期の物は、当然京言葉だ。当時のままの京言葉かどうかは分からない。もし、古い京言葉はこうだ、と言える人がいたとしても、せいぜい幕末期ぐらいではないだろうか。
花街の京言葉と町衆の言葉は違う、と言う人もいる。もしかしたら、今の花街言葉の中に、古い京言葉が残っているのではないかとも思える。
私にとっては、京言葉は舞台装置だ。江戸期を書くならば外せない。今のところ、生粋の京都人の知り合いからの苦情はない。東京に住んだことがないので、江戸を舞台にしては書かない。
「うつろがみ」は平安時代だ。「幽玄の絵師」は室町時代。どちらも京言葉とは無縁なので、台詞は楽だ。京言葉は、言い回しとは別にイントネーションの問題がある。こればかりはどうしようもない。ちなみに「空蝉の夢」には「作州弁」が入っている。私の故郷の言葉のせいか、「空蝉」への思い入れは深い。

⼀覧へ戻る